2022年4月19日火曜日

ランダム行列の行列積 part 3

Part1, Part2に引き続き, 有限体$\mathbb{F}_q$上の二つの独立な一様ランダムな行列$A,B\sim\mathbb{F}_q^{n\times n}$が与えられた時に積$AB$を計算せよという問題は最悪計算量 (任意の与えられた$A,B$に対して$AB$を計算する時の計算量) とほぼ一致することを見ました. 具体的にはPart1,2で以下の二つの定理を証明しました.

定理1(BLR93).
ある$T(n)$時間アルゴリズム$\mathcal{A}$が存在して$\Pr_{A,B\sim\mathbb{F}_q^{n\times n}}[\mathcal{A}(A,B)=AB]\geq 1-\epsilon$を満たすならば, ある$O(T(n))$時間乱択アルゴリズム$\mathcal{A}'$が存在して全ての$A,B\in\mathbb{F}_q^{n\times n}$に対して$\Pr[\mathcal{A}'(A,B)=AB]\geq 1-4\epsilon$を満たす. ここで確率は$\mathcal{A}'$の乱択を考える.


定理2(folklore; explicitly in [Asadi, Golonev, Gur, Shinkar, STOC22]).
ある$T(n)$時間アルゴリズム$\mathcal{A}$が存在して$\Pr_{A,B\sim\mathbb{F}_q^{n\times n}}[\mathcal{A}(A,B)=AB]\geq \alpha$を満たし, かつ$q>\lceil6/\alpha\rceil$ならば, ある$O(T(n)/\alpha^2)$時間乱択アルゴリズム$\mathcal{A}'$が存在して全ての$A,B\in\mathbb{F}_q^{n\times n}$に対して$\Pr[\mathcal{A}'(A,B)=AB]\geq 0.99$を満たす. ここで確率は$\mathcal{A}'$の乱択を考える.

これら二つの定理はそれぞれ
  • 定理1では$\mathcal{A}$の成功確率は$0.75$以上でなければ意味をなさない.
  • 定理2では$\mathbb{F}_q$のサイズが大きくなければならない.
という課題を抱えていました. この二つの課題は[Asadi, Golonev, Gur, Shinkar, STOC22]によって次のように解決されました:

定理3([Asadi, Golonev, Gur, Shinkar, STOC22]).
ある$T(n)$時間アルゴリズム$\mathcal{A}$が存在して$\Pr_{A,B\sim\mathbb{F}_q^{n\times n}}[\mathcal{A}(A,B)=AB]\geq \alpha$を満たすならば, ある$q^{O(\log^4(1/\alpha)}\cdot T(n)$時間乱択アルゴリズム$\mathcal{A}'$が存在して全ての$A,B\in\mathbb{F}_q^{n\times n}$に対して$\Pr[\mathcal{A}'(A,B)=AB]\geq 0.99$を満たす. ここで確率は$\mathcal{A}'$の乱択を考える.

定理3の帰着$\mathcal{A}'$の計算時間は$q$に依存しますが, $q$が大きい場合は定理2を使えば良いです.

本記事では定理3の計算時間を少し遅くした以下の定理を証明します.

定理4(weark ver of [Asadi, Golonev, Gur, Shinkar, STOC22]).
ある$T(n)$時間アルゴリズム$\mathcal{A}$が存在して$\Pr_{A,B\sim\mathbb{F}_q^{n\times n}}[\mathcal{A}(A,B)=AB]\geq \alpha$を満たすならば, ある$q^{O(\alpha^{-2})}\cdot T(n)$時間乱択アルゴリズム$\mathcal{A}'$が存在して全ての$A,B\in\mathbb{F}_q^{n\times n}$に対して$\Pr[\mathcal{A}'(A,B)=AB]\geq 0.99$を満たす. ここで確率は$\mathcal{A}'$の乱択を考える.

定理4の証明のために二つの道具を用意します. 一つは前回の記事で証明した確率的Bogolyubov--Ruzsaの補題です.

補題1 (確率的Bogolyubov--Ruzsaの補題).
集合$D\subseteq \mathbb{F}_q^n$が$|D|\geq \delta |\mathbb{F}_q^n|$を満たすならば, $\dim V\geq n-\delta^{-2}$を満たす線形部分空間$V$であって,
任意の$x\in V$に対して$\Pr_{a,b,c,d\sim \mathbb{F}_q^n}[a,b,c,d\in D|a+b-c-d=x]\geq \delta^5$
を満たすものが存在する.

もう一つの道具はランダム低ランク行列です. パラメータ$k$を受け取り以下のアルゴリズムによって生成された行列を$R_k$とします.
  • $v_1,\dots,v_k\sim\mathbb{F}_q^n$を一様ランダムに生成する.
  • $v_{k+1},\dots,v_n$をそれぞれ$v_1,\dots,v_k$のランダムな線形結合とする (結合の各係数が$\mathbb{F}_q$上一様ランダム).
  • $v_1,\dots,v_n$を並べた行列を$R_k$として出力する.
この時, 以下が成り立ちます (証明は省略).

補題2.
$\dim(V)\geq N-k$を満たす任意の線形部分空間$V$と任意の行列$C\in\mathbb{F}_q^N$に対し, $\Pr[C+R_k\in V]\geq \frac{1}{2q^k}$.



定理4の証明.
$N=n^2$とし, 行列全体の集合$\mathbb{F}_q^{n\times n}=\mathbb{F}_q^N$を線形空間とみなします. $S=\{(A,B)\colon \mathcal{A}(A,B)=AB\}$を$\mathcal{A}$が成功する入力の集合とします. 行列$A\in\mathbb{F}_q^N$を固定し,
$$D_A = \{B\in\mathbb{F}_q^N\colon (A,B)\in S\}$$
とします. $A\sim\mathbb{F}_q^N$が一様ランダムに与えられたときの$|D_A|$の期待値は $\geq\alpha|\mathbb{F}_q^N|$です.

最後に, $D=\{A\in\mathbb{F}_q^N\colon |D_A|\geq (\alpha/2)|\mathbb{F}_q^N|\}$とします. 直感的には, $A\in D$は$\mathcal{A}$にとって(平均的に)解きやすいインスタンスであるといえます. $A\sim\mathbb{F}_q^N$の時の確率変数$|D_A|/|\mathbb{F}_q^N|$に対して逆マルコフの不等式(Part2, 補題2参照)を適用すると$\Pr_{A\sim\mathbb{F}_q^N}[|D_A|\geq (\alpha/2)|\mathbb{F}_q^N|]\geq \alpha/2$が成り立ちます. すなわち$|D|\geq (\alpha/2)|\mathbb{F}_q^N|$となります.

ここまでで二つの集合$D,D_A$を定義しました. ここからは二段階に分けた帰着を考えます.
  1. $A\in D$を満たす任意の入力$(A,B)$に対して$AB$を計算するアルゴリズム$\mathcal{A}_1$を構成する.
  2. $\mathcal{A}_1$をサブルーチンとして呼び出すことで$A\not D$に対しても$AB$を計算できるアルゴリズム$\mathcal{A}_2$を構成する.
ケース1: $A\in D$.

この時は$|D_A|\geq \alpha/2$となります. $D_A$に対して補題1を適用すると, $\dim(V)\geq N-4\alpha^{-2}$を満たすある線形部分空間$V$が存在して
$$\forall x\in V,\Pr_{a,b,c\sim \mathbb{F}_q^N,d=a+b-c-x}[a,b,c,d\in D_A]\geq \alpha^5/32$$
です (ここでは$a+b-c-d=x \iff d=a+b-c-x$に注意). $a,b,c,d\in D_A$ならば$\mathcal{A}$は行列積$Aa,Ab,Ac,Ad$を正しく計算できることになるので, $Ad=Aa+Ab-Ac-Ax$に注意すると$Ax$を計算することができます.

さらに, 与えられた$B$に対して補題2より
$$\Pr[B+R_k\in V]\geq \frac{1}{2q^{4\alpha^{-2}}}$$
となります. よって$x=B+R_k$として上の議論を適用することができます.

まとめると$\mathcal{A}_1$は$B\in\mathbb{F}_q^N$を受け取って次のように計算します.
  • $R_k$と$S_1,S_2,S_3\sim \mathbb{F}_q^N$をサンプリングし, $S_4=S_1+S_2-S_3-(B+R_k)$とする.
  • $AR_k$を計算する ($R_k$のランクが小さくサンプリングした時に線形結合もわかっているので$O(kn^2)$時間で計算できる).
  • $C=\mathcal{A}(A,S_1)+\mathcal{A}(A,S_2)-\mathcal{A}(A,S_3)-\mathcal{A}(A,S_4)-AR_k$とする. $AB=C$かどうかをFreivaldのアルゴリズムで確認し, Yesならば出力. そうでなければ最初のステップに戻る.
各繰り返しは$O(T(n))$時間で計算可能です. 最初のステップで$B+R_k\in V$かつ$S_1,S_2,S_3,S_4\in D_A$を満たせば最後のステップで$C=AB$となります. これが起こる確率は上記の解析より$q^{-O(\alpha^{-2})}$です. 従って全体の繰り返し回数を$q^{O(\alpha^{-2})}$でとれば成功確率を$0.99$にでき, この時の$\mathcal{A}_1$の計算時間は$q^{O(\alpha^{-2})}T(n)$です.

ケース2: $A\not\in D$.

ケース2もケース1とほぼ同じです. ここでは$\mathcal{A}_1$をサブルーチンとして使います. $|D|\geq \alpha/2$より, $D$に対して補題1を適用すると, $\dim(V')\geq N-4\alpha^{-2}$を満たすある線形部分空間$V'$が存在して
$$\forall x\in V',\Pr_{a,b,c\sim \mathbb{F}_q^N,d=a+b-c-x}[a,b,c,d\in D]\geq \alpha^5/32$$
です. $a,b,c,d\in D$ならば$\mathcal{A}_1$は任意の$B$に対して行列積$aB,bB,cB,dB$を正しく計算できることになるので, $dB=aB+bB-cB-xB$に注意すると$xB$を計算することができます.

さらに, 与えられた$A$に対して補題2より
$$\Pr[A+R_k\in V']\geq \frac{1}{2q^{4\alpha^{-2}}}$$
となります. よって$x=A+R_k$として上の議論を適用することができます.

まとめると$\mathcal{A}$は$A,B\in\mathbb{F}_q^N$を受け取って次のように計算します.
  • $R_k$と$S'_1,S'_2,S'_3\sim \mathbb{F}_q^N$をサンプリングし, $S_4=S_1+S_2-S_3-(A+R_k)$とする.
  • $R_kB$を計算する ($R_k$のランクが小さくサンプリングした時に線形結合もわかっているので$O(kn^2)$時間で計算できる).
  • $C=\mathcal{A}_1(S_1,B)+\mathcal{A}_1(S_2,B)-\mathcal{A}_1(S_3,B)-\mathcal{A}(S_4,B)-R_kB$とする. $AB=C$かどうかをFreivaldのアルゴリズムで確認し, Yesならば出力. そうでなければ最初のステップに戻る.
ケース1と同じ解析により, アルゴリズム$\mathcal{A}$の計算時間は$q^{O(\alpha^{-2})}\cdot T(n)$になります. (証明終).







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