競プロで道具として用いられる様々な賢いアルゴリズムやデータ構造の多くは, 非常に賢い研究者たちによって発見されており, ほとんどは理論計算機科学の論文として国際学会の会議録や学術雑誌の形として出版されています. ここではアルゴリズム系の研究論文がよく出てくる様々な国際会議を紹介します. ちなみに各国際会議は基本的に年1回の頻度で開催され, そのために我々研究者はがんばって研究して論文を締め切り前に間に合わせるという「論文執筆マラソン」をしています. ちなみに以下の説明では「(会議名)に論文を通す」という言い方をしますが, これはその会議に論文が採択されるということを意味します.
以下に重要な注意事項を書き添えておきます:
- 国際会議は基本的に複数人(大体3人くらい)による査読の評価によって採択の可否が決定されます. 一般に査読の期間は1ヶ月程度であることが多いため, 細かい証明の隅々まで読まれることは稀です. そして査読者がその論文の文脈のエキスパートであることもあれば, そうではない可能性もあります. 従って, 運良くエキスパートに査読を引き受けてもらえた場合は精度の高い評価を下されることが期待されますが, そうではない可能性もそれなりに大きく, その時は正当な評価が下されない可能性もあります (そもそも証明が間違っているけど見逃されて通る可能性だってあります). ですので, 採択の可否にはある程度の運要素が絡んでくることもあることを念頭においてください (こうならないよう, 論文では誰にとっても分かりやすく背景やその手法の凄さをアピールするなどの工夫を凝らす必要があるのです).
- 凄い会議に論文を通すことは誉れの一つではあるものの, それが凄さの指標の全てでは決してありません. 大学の運営業務や講義などの間の時間を縫って, 学会やシンポジウムの運営, 本の執筆, 研究予算を獲得し学生の旅費を捻出して学生を育成するなど, 様々な形で分野に多大な貢献をしている先生は多くいらっしゃいます. あなたが学生であるならば, あなたの指導教員はマジでめちゃくちゃ凄い人です. ぜひ仲良くしましょう. ついでに
将来偉くなる可能性があるので私とも仲良くしましょう. - 以下では非常にレベルの高い国際会議を紹介して「めちゃくちゃすごい」と言っているだけですが, 私個人の意見としてはこれらを過度に神格化せず, 実は「意外と手の届くところにある」という認識を持って臆せずチャレンジし続けるべきだと思います.
1.Symposium on Theory of Computing (STOC)
理論計算機科学で最もレベルが高い国際会議は二つあり, そのうちの一つがSTOCという国際会議です. 例えばNP完全性の概念を導入したCook (1971)はSTOCの論文です. STOCのスコープは理論計算機科学全般であり, 例えばSTOC2025のcall for paperには
Papers presenting new and original research on the theory of computation are sought. Typical but not exclusive topics of interest include algorithms and data structures, computational complexity, randomness in computing, algorithmic graph theory and combinatorics, analysis of Boolean functions, approximation algorithms, cryptography, computational learning theory, continuous and discrete optimization, economics and computation, parallel and distributed algorithms, quantum computing, algorithmic coding theory, computational geometry and topology, computational applications of logic, algebraic computation, and computational and foundational aspects of areas such as machine learning, fairness, privacy, networks, data management, databases and computational biology. Papers that extend the reach of the theory of computing, or raise important problems that can benefit from theoretical investigation and analysis, are encouraged. The program committee will make every effort to consider a broad range of areas. The program committee will make every effort to consider a broad range of areas.
とあります. STOCに採択されるためには凄い証明を使って強い結果を示しつつ, その結果の背景とインパクトをアピールし, さらにその証明アイデアをめちゃくちゃ分かりやすく説明するなど, 非常に多大な努力を伴います. そのため, STOCに採択されることは理論計算機科学の研究者にとって最も栄誉なことであると同時に, 何度もSTOCに通している人はその研究トピックに関する世界的なエキスパートの一人であると認識されていきます.
ちなみに自分が2024年に参加したときは賢いアルゴリズムを提案する論文よりも計算量下界を導出した論文の方が採択される率は高いということを運営の方が発表していました.
2. Symposium on Foundations of Computer Science (FOCS)
先ほど述べた「理論計算機科学で最もレベルが高い国際会議」の二つのうちのもう一つがFOCSという国際会議です. 内容的には基本的にSTOCと同じなのですが, 違いはスポンサーにあり, STOCはACM SIGACTによってサポートされていて, FOCSはIEEEによってサポートされています. FOCS2025のcall for paperはSTOC2025とほぼ同じです:
Papers presenting new and original research on theory of computation are sought. Typical but not exclusive topics of interest include: algorithmic coding theory, algebraic computation, algorithmic graph theory, algorithmic game theory, algorithms and data structures, analysis of Boolean functions, approximation algorithms, average-case complexity, computational applications of logic, combinatorics, computational complexity, communication complexity, circuit complexity, combinatorial optimization, computational game theory, computational geometry, computational learning theory, continuous optimization, cryptography, foundations of machine learning, online algorithms, optimization, parallel and distributed algorithms, parameterized algorithms, randomized algorithms, sublinear algorithms, streaming algorithms, quantum computing, pseudorandomness and derandomization, foundations of fairness and privacy, and theoretical aspects of areas such as networks, information retrieval, computational biology, and databases. Papers that broaden the reach of the theory of computing, or raise important problems that can benefit from theoretical investigation and analysis, are encouraged.
STOCとFOCSはどちらもほぼ同程度にレベルが高く, その採択は非常に誉高い業績とされています. ちなみにアルゴリズム系と一口にいってもSTOCやFOCSでは暗号や量子計算の話もよく出てきます.
3. Symposium on Discrete Algorithms (SODA)
SODAはSTOC/FOCSと比較するとややレベルは落ちるものの, それでもなお非常にレベルの高い国際会議です. タイトルにあるように離散アルゴリズムに関する国際会議ですが, 実際のところはグラフといった離散構造の論文や計算量下界の論文もあるので, まぁなんでもありの会議です (例えば自分はアルゴリズムが全く出てこない論文を通したことがあります).
SODA, STOC, FOCSの三つはまとめて理論系のトップ会議として言及されることが多々あります.
- 理工学部教授 浅野孝夫 最終講義「離散アルゴリズムと国際会議STOC・FOCS・SODAとの出会いから」を開催
- 理論系(STOC, FOCS, SODA)からビッグデータ・AIのトップ会議へ
- JST ERATO巨大グラフプロジェクト2012-2017 総括と遺言
- 河原林健一氏の日本学士院学術奨励賞受賞に寄せて
特に三つ目のスライド資料はとても面白いのでぜひ眺めてみてください. 河原林先生のSTOC, FOCSへの情熱が感じられます. また, 四つ目のリンクでは, 徳山 豪 先生は「日本人研究者では,生涯に 1 つ論文が載ればかなり優秀で,複数の論文を持つ研究者は数えるほどしかいない.」と述べています.
なお, アメリカとかだと凄い先生の下で一緒に論文を書いてたくさんSODA, STOC, FOCSに論文を通すという学生は結構いるのですが, 残念ながら日本では(大学教員の多忙さも相まって)そのレベルの研究をコンスタントに実行できる凄い先生がほとんどいないこともあり, 日本でSODAに論文を通す学生は2,3年に一人いるかどうか, STOC/FOCSに通す学生は5,6年に一人いるかどうかだと(個人的な感覚ですが)思っています. ちなみにSODA, STOC, FOCSにはたまに競プロの凄い人も発表していることがあり, Google Code JamのTシャツとかを着てる人を何回か見かけたことがあります.
他の会議
なお, 他にも理論計算機科学の分野の国際会議は非常にたくさんあります. 自分がすぐ思いつくだけでもICALP, ESA, CRYPT, SoCG, PODC, DISC, QIP, MFCS, CCC, SOSA, RANDOM, APPROX, WALCOM, ISAAC, ISSAC, STACS, IPCO, SPIRE, SAT, IPECなどがあります (他にももっとあります. メジャーなもので抜けてるものがあったら追加するので教えてください).
SODA, STOC, FOCSが別格というだけでこれらの中にもとてもレベルの高い国際会議はいくつかあります. 例えばPODC (Symposium on Principles of Distributed Computing) は分散計算にフォーカスを絞った国際会議で, CCC(Computational Complexity Conference)は計算量下界に関する国際会議です (いずれもレベルの高い会議として認識されています). 個人的にはランダムネスに関する会議RANDOMが好きです. トピックが絞られているが故の利点もいくつかあります:
- 自分の専門に近い査読者に査読がいきやすい
- 参加するとそのコミュニティと繋がりやすい
- そもそも自分の専門分野に近いので面白い発表が多い
また, 他にもアルゴリズム全般を扱う汎用的な国際会議はICALP (Track A), ESA, MFCS, WALCOM, ISAACなどがあり, 学生の国際学会発表の経験を積むという点でも非常に重要な役割を果たします. 人によって色々ありますが, 私の認識ではこれらの中ではICALP (Track A)が頭一つ抜けているイメージです (他の会議はどんな感じなのか本当に何も知らないので何かご存知のことがあったらXかリアルで会ったときに是非教えてください). これらの中にも歴史的な論文は多くあります. 例えば行列積の検算を乱択で行うFreivaldsのアルゴリズムはMFCS(1979)に採択された論文に登場しています).
なお, 全ての国際会議に共通して言えることですが, 論文の採択可否の決定や現地での運営など, 非常に多くの人の多大な協力によって開催されています. 国際会議に参加する際は, その裏にはそういった努力があることをぜひ念頭において, 楽しみましょう!